ROTTENGRAFFTY インタビュー - 激的アルバイト——ク!│求人情報ならアルバイト・パートのバイトル

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ROTTENGRAFFTY インタビュー - 激的アルバイト——ク!

日本最大級のアルバイト求人情報サイト“バイトル”と激ロックによる“激的アルバイトーーク!”。今回は、結成から18年、変わらぬメンバーで走り続けるROTTENGRAFFTYが登場。その熱い音楽の源にもなっているだろう、経験や体験を語ってもらった。またこのインタビューでは、普段は経験できないような非日常的なアルバイトが体験できる企画”ドリームバイト”で選ばれたロットンファンの大学4年生、中村知也さんも取材メンバーとして参加。ダイレクトに思いをぶつけてもらった。

ROTTENGRAFFTYのメンバー

Profile

NOBUYA(Vo) N∀OKI(Vo) 侑威地(Ba) HIROSHI(Dr)

一生の友達が増えた。夢を持って働いている奴と繋がれたのがよかった(N∀OKI)

ROTTENGRAFFTYのメンバー

-学生時代にやった、最初のアルバイトは何でしたか。

侑威地僕は、中3のときで新聞配達ですね。チャリで回って、団地の階段をめっちゃ上ってました。

NOBUYA俺は、友達の親父の配管の仕事を手伝ってましたね。そのときは、免許を取る前にバイクを先に買おうと思っていて、お金を貯めてました。

N∀OKI僕はビアガーデンですね。

HIROSHI僕は、友達と一緒にラーメン屋さんでバイトしてました。運んだり、洗い物したりですけど。

-経験としてはいくつくらい、どんなバイトを経験しましたか。

N∀OKIめっちゃやってましたよ。

-これは、長くやったなというバイトは。

N∀OKIHIROSHIはパチンコ?

HIROSHIパチンコ屋って、時給がいいんですよ。

N∀OKIそうやね。

HIROSHIロットンが始まる前からで、5年くらいやってました。

N∀OKI俺は長かったのはバーテンダーとパチンコですね。バーテンダーは、友達がやってる店で働いてました。

-バイト選びは、趣味と実益を兼ねたところもあったんですか。

N∀OKIあまりお酒は好きじゃないんですけどね。パチンコ屋でのバイトは、友達がめっちゃできたのでよかったです。もう20年前くらいですけど、そのときできた友達は今も繋がってるんですよ。ライヴにも来てくれるし。

NOBUYA僕は一番長かったのは、レンタルビデオ屋ですね。

N∀OKI結成当初やってたもんな。

NOBUYA朝の10時から夕方の6時まで、僕ひとりで。基本的に、人と関わるバイトがイヤだったんですよ。そこは個人経営のレンタルビデオ屋で、店をひとりで任されるスタイルやったので、人に気を遣わなくていいからめっちゃ楽でした。4~5年いたんちゃうかな。そこでロットンが始まったので、それが最後のバイトでした。

N∀OKI京都アバンティにあった雑貨屋でも働いとったやん。

NOBUYAあぁ、そうだ。

N∀OKI僕も、NOBUYAの紹介で同じフロアの雑貨屋で働いてたんです。

-侑威地さんの一番長かったバイトは何ですか。

侑威地僕はバーで、10年以上働いてました。店は変わったりしましたけど、お酒やご飯も作ったりしたし、いろいろとやってました。ロットンに入ってからもやってましたね。

-なぜ、バーだったんですか。

侑威地僕はNOBUYAとは逆で、人と喋るのが好きやったので。

-バーだといろんな人と、いろんな話ができそうですね。

侑威地そうですね。でもバーって、基本的には夜の営業なので、夜の仕事をしている人らとよく話をしました。そこで人間の深い闇をいっぱい知りましたね。

-若いとき、最初に社会と触れる場所がアルバイトだと思うんですが、今タメになっているなと思うことはありますか。

N∀OKI知り合いや友達は、むっちゃ増えましたね。フリーターでやっている子もおれば、何か目標があって来ている子も多かったので。役者になるとか、芸人になるって言っていて、今ちゃんと役者で大成功してる奴もいるし。そういう、夢を持って働いている奴と繋がりやすかったのはよかった。一生の友達が増えたというか。

HIROSHI役に立ってることか、何だろうな。

ROTTENGRAFFTYのメンバー

NOBUYA手に職がついたんじゃない? 家、建ててたやん。

HIROSHIあ、そうだ。ヘーベルハウスの下請け会社でも働いていたんですよ。内装とか、最後の細かい作業をしていたんですけど、それは役に立ったかな。

侑威地うちのマンションのクロスとか、直してくれましたもん。

“絶対のし上がってやる”っていう反骨心をバイトで得ていたかもしれない(NOBUYA)

ROTTENGRAFFTYのメンバー

-バンド活動をしているとツアーがあったり、急にライヴが決まったりと、イレギュラーなことも多いですが。そういう面で、バイト選びのコツはありましたか。

侑威地固定のバイトやったら長期の休みが取りづらいので、僕は1日1日、派遣で行ってましたね。僕がやってたときは、結構仕事があったんですよ。玉ねぎ工場に行ったり、農場に行ったり。

N∀OKIアイス屋もやってなかった?

侑威地保冷車で、冷凍食品を運ぶやつね。あれは派遣じゃなかったかな。

-NOBUYAさんは、バンドとの兼ね合いのうえではどうですか。

NOBUYA僕は人と関わるのがすごくイヤやったので。

侑威地何回言うの、そこ(笑)。

NOBUYAレンタルビデオ屋はバイト仲間よりも、オーナーさんとかと仲良くなることが多かったですね。経営者の懐に入っていくのがうまかった気がします(笑)。でも、バイトするのがむちゃくちゃイヤやったので。ロットンを始めて、1年以内に事務所とレコード会社が決まらなかったら解散、とずっと言っていたんです。初めはバイトしていたんですけど、レコード会社が決まってからは、一切バイトを辞めました。そのくらい、バイトするのがイヤでしたね(笑)。最初は、食えなくて苦しかったですけど。

-決まった時間で働くのがイヤな感じですか。

NOBUYA自分で何かしたいっていう気持ちの方が強かったので。誰かに雇われるのがイヤだったんですよ。僕がバイトをやって得たものは、こんなことやってられるかっていう、反骨心ですかね。“バイトなんてやってられへん、絶対のし上がってやる”っていう反骨心を、バイトしながら得ていたかもしれないです。

-何がなんでもバンドを成功させるっていう気持ちになりますね。N∀OKIさんはコツを掴みながら働いて、バンドとバランスも取れていたんですか。

N∀OKIそうですね。僕は侑威地みたいに転々とするのがイヤやったので、社員も丸め込んでうまいことやってました。社員とかまとめて10人くらいで、遊びに行く予定とか立てて、“パチンコ屋、今日人いいひん。どないなっとんや──また牧沢(N∀OKI)の仕業か!”っていう。

-それでも許されちゃうようなキャラにもなっていたんですね(笑)。

N∀OKI社員の上の方の人、言ったら社長とかに気に入られていたので。うまいことやってましたね。そういう人を見る目を養えたんちゃうかなと思います。媚びるとかではないですけど、仕事が終われば人と人、みたいな。コミュニケーションをとったら仲良くなれるので。そういう術は覚えたんちゃうかなと。

-これはきつかったなというバイトはありましたか。

HIROSHIきつかったことはないですかね。餃子の王将とか居酒屋でもバイトしていたんですけど、たしかにサービス業だからキツいこともあるし、汗だくになりながらもやってました。賄いがおいしかったですしね。あ、でも居酒屋でバイトしていたときには、閉店まで仕事して、最後に食べるご飯が、唐揚げとか揚げ物ばかりだったんですよ。ほぼ毎日食っていたので、あまり好きじゃなくなりました。

N∀OKIえ、どこがきついの(笑)。

-侑威地さんは数あるなかで、これはなかなかしんどかったぞというのは。

侑威地玉ねぎ工場ですかね。全身白い作業着で、1日中、玉ねぎの皮をむ剥いて、切って、袋に詰めるという、ただそれだけの仕事なんですけど。2日間やると、何を食べても玉ねぎの味しかしないんですよ。お風呂にいい香りのする入浴剤を入れても、玉ねぎの匂いがずっと取れないんですよね。もともと玉ねぎ嫌いだったんですけど、それ以来、ほんまに嫌いになりました。

-バンドを始めたころは、いろんな仕事をして、夜はクタクタになってバンドの練習に入るというような生活ですか?

NOBUYAうん、でも楽しかった記憶があるな。

侑威地バイトしてお金貯めてスタジオ代にしたり、お金を出し合って、いろんなところにライヴしに行ったりすることが楽しかったんですよ。全然、苦ではなかったです。

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-ツアーに必要な機材車なども、みんなでお金を出し合って買ったりしたんですか?

N∀OKIライヴで貯めた金で、最初の機材車買ったよな。

NOBUYA最初は、中古のマツダのボンゴね。

N∀OKIメンバー全員、侑威地を恨むっていう。

侑威地“買ってきて”ってお金を渡されて。めっちゃ安いのあるわと思って買ったら、“機材車って普通、トヨタのハイエースちゃうんか”って怒られて(笑)。

NOBUYAそこからね、ハイエース買うためにもっと頑張らなって。

N∀OKI最初の機材車が1年くらいで、すぐ止まったんですよ。中国道で、米子に行く間に。みんなで押しましたね。

侑威地そのときもめっちゃ、“これ全部、侑威地のせいちゃうんか”って言われながら(笑)。

-バンドをやりながらバイトをしている人、これからバイトを始めようという人たちに、何かアドバイスはありますか。

N∀OKIバンドは、人に見てもらう仕事じゃないですか。人と出会える仕事がいいと思うんですよね。音楽をやっていると、チケットのノルマとかもあって、そういうのも大変やし。実際やっている人に失礼かもしれないですけど、音楽をやってるからライヴハウスで働くよりは、全然違う場所で友達を作って、自分のお客さんにしていく方がいい気がする。幅が狭くなるよりは、いろんなところでいろんな経験をした方が、歌にもなると思うから。

NOBUYAバンドの名前がちょっと知られるようになっても、N∀OKIも言ってたように、ライヴハウスやアパレルで働いていたり、人の目につくところで働いているバンドマンがいるじゃないですか。俺は、違うかな? と思うんです。バイトしてる姿は、隠せよって思うんですよね。もっと、あるんちゃう? と思って。人の目につかないバイトをしたらいいのになって思う。自分はそれがイヤやったから、バイトしなかったのもあるんです。でも高校生とか大学生で、バンドで一旗上げたるっていう人は、なんでもやったらいいんちゃうかなと思う。お金貯めて、バンドに全部注いだらいいんちゃうかな。

-ありがとうございました。では、続いてドリームバイトの中村さんにバトンタッチします。

ROTTENGRAFFTYのメンバー

中村僕は大学4年で、今年で学生生活が最後なんですが、みなさんが学生時代にこれをやっておけばよかったということがあったら、教えてほしいです。

N∀OKI俺は、そのころの年に、もっと海外に行っておけば良かったなというのはあるかな。

NOBUYA俺は、学生時代にグレてたので友達がいないんですよ。今年42歳なんですけど、同窓会とかには誘われなくて。

HIROSHIあぁ、同窓会な。それはあるね。

NOBUYA本当に学生時代の友達が数人しかいなくって。“この間同窓会があって、誰々がこんなになってたよ”っていうのを聞くのがつらい。俺も次誘ってよとかはなかなか言えなくって。あの当時、もっとみんなと仲良くしてたら誘ってくれてたんちゃうかなとすごく思う。

中村関係作りは大事ですかね。

NOBUYAうん、失敗したなとは思う。

中村これは質問というよりも、疑問なんですけど。“ポルノ超特急”で、SiMが「金色グラフティー」のイントロをやっていたのを観たんですけど、そういうのって事前に打ち合わせなどはしているんですか。

N∀OKI打ち合わせはないな。それはもう、そのバンドのサプライズでしょうね。

侑威地気持ちでやってくれていると思うね。

中村仲がいいからこそのことですか。

侑威地だと思いますね。僕らもそういう意味を込めてやるときもあるしね。

N∀OKIだから、事前に確認とったらサムくない? “今日の誕生日会、プレゼント持っていくし”って言われてるみたいでね。

NOBUYAこの間ロットンでKen Yokoyamaさんのツアーに参加させてもらったときに、俺らもKenさんの「Believer」をサプライズでやらせてもらったけど、そのときはあえて違う曲名をセットリストに書いて。リハでもやらず、Kenさんにはバレないように本番でやるっていう。ここでやったらKenさんのファンも、自分たちのファンも喜ぶかなって。SiMもそういうことだと思う。俺らも、SiMがカバーしてくれたので、SiM主催の“DEAD POP FESTiVAL”のときに、お客さんもいるところでの音合わせで「KiLLiNG ME」をやりましたね。

中村そうだったんですね。ありがとうございます。最後にこれが一番聞きたかったことなんですが。僕は今、彼女がいないんですが、モテるテクニックがあれば伝授してほしいです。

侑威地モテてると思ったことがないんですよねぇ。

N∀OKIやっぱり、自分に自信を持つことじゃないですかね。それが表情や行動に出ると思うからね、俺イケてるっていう。そういうプラシーボ効果って、あるもんやと俺は思っているから。

中村男から見てもかっこいい奴、憧れられるような人になるにはどうしたらいいですかね。

N∀OKI音楽やってるんですか?

中村今、音楽サークルに入ってます。

侑威地アーティストで“この人カッコええな”と思う人がいるじゃないですか。その人の真似をすることが、一番早いかな? その人が言っていることを真似したりとか。それをそのままやってたら、いつかは自分のものになっていくし。

N∀OKI自分の考えと混ぜ合わせていってね

侑威地うん、最初はそういうのでいいと思うけどね。

中村わかりました、ありがとうございました。

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