ビッケブランカ インタビュー - 激的アルバイトーーク!|バイト

日本最大級のアルバイト求人情報サイト“バイトル”とSkream!による企画“激的アルバイトーーク!”の今回のゲストは、美しく切なく人々の心を打ったバラード「まっしろ」から一転、軽快でファニーなダンス・ミュージックとなったニュー・シングル『Ca Va?』をリリースしたビッケブランカ。クリエイティヴで凝り性で、常にいろいろなものにアンテナを張り巡らせているこのシンガー・ソングライターは、学生時代にどんなアルバイトをしてきたのか。学生時代の話や夢、進路の話をたっぷりと訊いた。また今回は、ビッケブランカにインタビューをするドリームバイトに選ばれた大学生、田中夏織さんもSkream!編集部員として取材に参加。創作についてや、音楽の姿勢について熱い話を引き出してくれた。

ビッケブランカ

-初めてやったアルバイトはなんでしたか。

ビッケブランカ最初は高校時代で、駅でチラシ配りをしていましたね。知り合いがくるので、知り合いに10枚くらい渡すんです(笑)。で、どこかで撒いてくれと。という感じで頭使ってやってましたね。

-効率良くやるのがうまそうですね(笑)。

ビッケブランカそうかもしれないです。同じ沿線上に転校したんですけど、チラシ配りをする駅が昔住んでいたところだったので、中学時代の友人と会えるんです。それを楽しみにやっていた感じで。終わったら、友達とフードコートに行って遊ぶという。高校時代はそのバイトだけでしたね。それもアルバイトというものがやってみたかっただけなので、半年くらいは頑張りましたね。大学に入ってからの方がバイトはしてましたね。

-大学時代はどんなバイトを?

ビッケブランカ上京してすぐに、家の近くにあったアイスクリーム屋さんでバイトをしたんですけど、そんなに長続きはしませんでしたね。夏でも涼しいだろうというのがあったし、バイトが終わるとオーナーが“1個食べていいよ”って言ってくれたりもして、3ヶ月くらいはやったんですけど。大学も始まったばかりで、バイトに行かないといけないけど、どうしても眠い場合に行くのがイヤだったというのがあり(笑)。

-それは、困りましたね(笑)。

ビッケブランカ身体は寝なきゃいけないと言っているのに、バイトに行かなきゃいけないと。そこまでする必要があるのかという葛藤がありました。まぁ、そんなに頑張らなくてもいいかなっていうことで辞めちゃいました。そのあとは、池袋のダーツ・バー兼レストランで働いてましたね。ホールの仕事だったんですけど、立っているだけっていうのが本当につらくて。骨格的に向いてないんですかね? 骨盤の形上なのか立ってるだけというのがつらくて、座れないのがこんなに苦痛なのかと思って、それも3~4ヶ月で終わりました。

-そういう体験は次のバイト選びに活かされるんですか。

ビッケブランカ活かされた結果、最終的に一番長くやったのが家庭教師のバイトですね。それが僕自身の最後のバイトで、大学卒業後までやってました。そのレストランから家庭教師の仕事まで空白の1年くらいがあるんですけど。多少の仕送りも貰えていたので、その1年は何もせず曲ばかり作ってました。

-仕送りもあったけれど、またバイトをしようってなったのは何が大きかったんですか。

ビッケブランカ多分、大学を卒業するかしないかくらいでいろいろとお金がかかり始めたんでしょうね。楽器や機材を買うとか設備を整えたりするので、プラスアルファ必要だなっていうのでやっていたと思いますね。

-家庭教師は、いろいろ教える技術なども必要そうですね。

ビッケブランカ大きな家庭教師の会社だったんですけど、まず本社で試験を受けて、生徒をあてがってもらう感じで。最初に受け持ったのが小学生の子で、その子は成績も上がって、親御さんも“ありがたいです”と言ってくれて良かったですね。そのあとに担当したのが、これまでに5、6人先生が変わっているという中学生の男の子だったんです。親御さんから、“次の先生で最後です。これでダメならもうやめます”と言われていた子で。それで評判が良かった僕が呼ばれて、“最後の砦で行ってくれ”ということで、担当することになったんです。

-それは責任重大じゃないですか。

ビッケブランカ親御さんはふたりとも忙しいようで、家政婦さんがいる家庭だったんです。生徒さんも初めは寡黙で、真面目なんだけど、やる気はあまりない様子でした。でも僕も頑張って教えていたら、2~3ヶ月後くらいから少しずつ成績が上がる兆しが見えてきたんですよね。だけど家政婦さんは、“大丈夫なんですか”とか“携帯とか見ないで、ちゃんとやってますか”っていう感じで、ちょくちょく覗きにくるので。これはいろんな先生が辞めるのもそうだろうなと思いながらも、頑張ってやって。3ヶ月くらい経ったとき、ずっと無駄話しなかったその男の子が、“先生すごいですね”って突然言い出したんですよ。テストはもうすぐだし、そこでいい結果が出たらすごいと言ってもらえるのはわかるけど、まだそんなのわからなくない? って話していたら、でもすごいと。何がすごいかって聞いたら、今まで来た6、7人の先生はみんな、僕の横に座って、片手にずっと答えを持ちながら教えていたって言うんです。心の中では、“答えを見るだけなら僕にだってわかる、こんな人に教えられても仕方ない”って思っていたと言うんですね。“でも先生は、一度も答えを見ずに僕に教えてくれたし。それで答え合わせすると、ちゃんと合っていて。この人から学んでいれば、頭が良くなるんじゃないかって思えるんだ”って言ってくれたんですよ。

-いい先生じゃないですか。

ビッケブランカ“そうだよな!”って(笑)。これからも頑張っていこうぜってなって。その子もなんとか頑張って成績を上げたんです。僕がレコード会社との契約が決まって、バイトを辞めなきゃいけないとなったときは、ちゃんと家政婦さんともお話をして、最後には“先生で良かったです”と言ってもらえて。それで僕のバイト人生は終わったんです。

-教えるというのが上手なんでしょうね。

ビッケブランカまぁでも、覚え方ってコツがあるじゃないですか。点数を取るだけだったら、コツがあるんですよ。生きていくうえで必要なことは、勉強じゃないところ、学校生活や部活で学んでいくことで。テストなんて、点数が取れて、その先のステップに行くときに有利に働く内申点さえつけば、その人のためになると思っていたので。点数を取るコツだけを教えたというものでしたね。だから、頭を良くしたわけじゃないと思ってますね。

-それは自分自身でもやってきたことですか。

ビッケブランカそうですね、点数さえ取れればというのはありましたね。英語とかは、文法よりも単語さえ全部覚えちゃえばなんとでもなるなとか、自分が学生時代に見いだしたコツがあったんですよ。そのノウハウを教えるっていう。

-生徒さんからの信頼も厚かったようですが、勉強以外でいろんな話もしたんですか。

ビッケブランカ前の小学生の生徒さんのおうちはみんないい方で、ゲームの話をしたり、僕がビッケブランカとして音楽活動をしていく変遷もFacebookとかで見てくれたりして。“先生、すごいですね。ライヴに行かせてくださいよ”って言ってくれたこともありましたね。だからすごくいい思い出なんですよね、バイトっていうものが。

夢の選び間違いをしないようにと言いたい
“あなたはこの星なんだ”っていうのを、冷静に考える必要があると思うんです

ビッケブランカ

-それは手を抜かずしっかりやってきたからこそですよ。

ビッケブランカやるならちゃんとね。でも教えるのは面白かったんですよ。もう1回やりたいです、そういう企画ないですかね(笑)?

-家庭教師だと、それほど長時間バイトするという感じではないですが、フルタイムで働くようなバイトってやったことあります?

ビッケブランカ無理ですね(笑)。それはバイトに生きてしまってるじゃないですか。僕は働く以外に、音楽っていうのがあったので。短い時間で、ある程度給料が貰える家庭教師のバイトが、効率が良かったですね。

-いわゆるフリーター時期っていうのもあったんですか。

ビッケブランカ大学在学中に契約が決まって、大学生活終了と同時に1回レコード会社との契約が終わったので、次が決まるまでの1年間が、言わばフリーター時期ですね。

-その1年ほどの時間はビッケブランカさんにとってどんな時間でしたか。

ビッケブランカその1年間で、本来、大学生が4年間で謳歌する自由な時間を謳歌していたかもしれない。責任を放棄して、遊び呆けた1年でしたね。もう勉強をすることもないし、22~23歳ですから、“僕にはもう時間がない!”っていう年齢でもないし。あとは延長仕送りというのも貰っていたので(笑)。で、自分は音楽の道を行くんだって自分で進路を狭めていた時期だったので、自由にやっていましたね。

-その1年間という時間で自分の音楽をより追求するという感じですか。

ビッケブランカというよりも、1年間遊び呆けたことで、1年後の次の契約を結ぶときに頑張らなきゃヤバいぞっていう気持ちになったというか。あえて怠けきることで、こんなんじゃダメでしょって自分で持っていけたんですよね。ちょっと怠けて、でもちょっと頑張るだと、ちょっと頑張ってるしいいかなってなるけど、遊びきって怠けきって、怠惰の沼へというところまで落ちて、頑張らなきゃっていう反動に繋がった記憶がありますね。

-では、貴重な1年ですね。学生時代には周囲が就活で忙しくしていた時期もあったと思いますが、“自分は音楽の道に進む”という将来については、いつごろ決めたんですか。

ビッケブランカ中学3年生のときですね。うちが、そういう教育方針だったんです。男っていうのは人に負けないものを1個作って、それで生きていくんだよっていうのを小学生の低学年くらいから両親に言われていたんです。自分は何なら人に負けないのか、何なら日本一、世界一になれるのかっていうのを、学校で探すんだっていう。そういうことを探しながら、残っていったものが音楽だった気がしますね。足も速かったんですけど、高校に入ったくらいから僕よりも足の速いやつが現れて。こんな田舎の高校で僕が一番じゃないなら、絶対に一番にはなれないというのでやめていくという。そういう取捨選択をしていた子供時代だったんです。

-なるほど。では、バイトをしながら夢に向かって頑張っている人に、ビッケブランカさんからのアドバイスや、今こういうことをやっておいた方がいいよということはありますか。

ビッケブランカそうですね……まず、その夢の選び間違いをしないようにと言いたいですね。これは本当に思うんです。人には絶対、1個秀でたものがあるのに、思春期の憧れとか、ちょっとした出来事をきっかけに、本来自分が事を成せるジャンルじゃないところを目指してしまうんです。そこに向けて努力をしても、どこまでいっても、そこにはその秀でたものをもともと持って生まれた星の人がいるんですよね。だから、“あなたはこの星なんだ”っていうのを、自分で冷静に考える必要があると思うんです。

-得意と好きは違うって言うものですからね。でもその選択をするのって、なかなか難しいところですよね。

ビッケブランカ真剣に考えれば、絶対にわかるんですよ。だけども自分はこれがやりたい、こういう自分でいたいんだというのがあると思うんですけど、それは何年かあとにつらい思いをするよっていう。なんか、全然希望のないアドバイスになっちゃいましたけどね(笑)。でも自分が何を目指すべきかをちゃんと考えて、何が得意で、何が秀でていて、その得意と秀でているが一致してるタイプなのか、離れているタイプなのかとか、得意なことが好きじゃない場合はどう折り合いをつけていくのかとか。そこに時間を使った方がいいんじゃないかって思うんです。なかなかこういう場でこんなことを言う人もいないと思うけど、でもこれが本質なんですよね。

気持ちというのは普通に話すよりも歌に乗せることで伝わることもある それはもしかしたら自分にもできるかもしれないなという出来事があった

ビッケブランカ

-たしかに、そういうことは社会に出て働いてみて痛感することで。とてもリアルな話です。

ビッケブランカバイトルのキャッチコピーが変わるんじゃないですか。夢は“しっかり”選ぶっていうふうに(笑)。

-貴重なお話をありがとうございます。ではここからはドリームバイトの田中さんにバトンタッチします。

田中ドリームバイトに選ばれた、田中夏織です。今日は、よろしくお願いします。では早速最初の質問です。先ほどのまっすぐなお話のあとに、この質問をするのはなんなのですが、ビッケブランカさんは自分の確固たる世界観というのを持っていて。アーティストやクリエイターの方は、同じ作り手でもそれぞれ違うことをやっていて、違うからこそ、相容れないことや理解しがたいこと、また抗いがたい魅力もあると思うんです。そういったものに対して、相手を羨むとか、過剰に愛してしまうとか、自分の内側に取り込んでしまおうとか、何かそういう迷いが生まれることはありますか。

ビッケブランカ僕のやるような音楽の場合は、成果や名を馳せていくことが目に見えてわかるんですよね。売上枚数や、知名度がどんどん上がっていくのがわかるわけです。駆け出しのころは、駆け出しのやつらが横並びで集まるんですよね。そこでは正直グッとくるものはなく、それこそさっき言ったような夢を選び間違えた人と一緒にいるんだという自覚があったくらい、尖った考え方を持っていたかもしれないです。でも、僕はこの並びでやるべきじゃないと日々頑張っていくことで、徐々に仲間が増えて、チャンスが貰えて、そのチャンスをしっかりと掴んでいくことで徐々にステージが上がっていく。その上がったステージにいる横並びの人たちは何かを持った人たちで、そういう人たちが現れてきてくれるんですよね。

田中なるほど、そうですね。

ビッケブランカ音楽の好き嫌いじゃなくて、ここまで上がってきた人たちというだけで、全員に敬意を持てるんです。最初の横並びから、僕らは違うんだっていう思いで這い上がってきた人たちだから。単純に好きだし、敬意を持てるんですよね。確固たるものを持っていないと、そこまで上がってこれないので、お互いのものを羨んだりする感覚もないんですよ。自分たちの音楽、自分たちの考えができている人たちだから。だからこそ対等に話もできて、声を大にして好きって言えるようになるんですよね。これは、答えになってますかね?

田中はい、ありがとうございます。では、そうした横並びの人以外でも、音楽というのは歴史のあるもので。ビッケブランカさんにもルーツとなる人や、過去の音楽家にもそうした愛や好きという想いがあると思いますが。違う時代を生きているからこそ、何かルーツに対して畏れを抱くようなことはありますか。

ビッケブランカなるほど……ルーツとされているものは、本当にたくさんあって。偉大なところではQUEENや、Elton John、Michael Jacksonとかが好きなんですけど。そういう伝説的な、栄光の人ともなると、ただもう好きだ好きだってなるんですね。その影響はしっかりと受けているので。その影響を受けたうえでアウトプットしている音楽が、それを帯びるということはとても自然なことで。それに対しての畏れというのは、もうないかな。当たり前に出るものというかね。

田中血肉になっているということですね。

ビッケブランカそういうことに対して、もしQUEENを日本人がやるなよとか、Michael Jacksonのあのグルーヴは日本人が出せるわけないだろって言う人がいたとしても、まったく関心を向ける必要がない気がしますね。そこには僕とFreddie(Mercury)とMichaelしかいないんです(笑)。

田中(笑)。食べて育ってきた、というようなことですね。

ビッケブランカそれくらいのことですよ。耳で食べて、自分の素養を増やしてきたものだから。畏れっていうのは、浮かびもしないかな。人間なんて誰しもが、いろんな影響が集まった存在だから。はじめにまず両親の影響を受けて、出会っていくものの影響を受けてできるものだからね。それが自然な形ですね。

田中ありがとうございます。以前Skream!でのインタビュー(※2016年11月号掲載)で、曲作りをしていた中学生のときに、お母さんの誕生日にプレゼントとして曲を送ったというのを読みました。特定の人や、特定の少数の人に対して宛てた想いを、言葉や口語ではなく、音楽というコミュニケーション手段で贈られたというのが、とてもいいなと思いました。そのときに、言葉でなく音楽で贈るというのは、何か特別な想いがあったんですか。例えば、言葉では気恥ずかしいからとか。

ビッケブランカそうですね、気恥ずかしいことでしたけどね。ほんと、思春期のころは親とケンカばかりしていたんです。いろんな理由があって、しばらく母と顔を合わせない時期が続いて。そのあとは、何もないように振る舞うんですけど、やっぱりちょっとわだかまりが残っていたものを、何を思ったか歌にして母の誕生日にあげるというものだったんですけど。母と僕との関係に、大きな何かが欲しかったんでしょうね。すべてを修復するような何かが欲しいと思ったときに、小っ恥ずかしさを超えて、音楽を作らなきゃっていう気持ちが追い越したのかもしれないですね。

ビッケブランカ

田中言葉にして“ありがとう”と言うことは恥ずかしさもありそうですが、歌でなら丸ごと想いを届けられるということですか。

ビッケブランカそういう感じですね。でも別に、“♪ありがと~う~”みたいな歌詞を歌ったわけじゃないんですよ(笑)。もっとそれを詩的にとか遠回しなものでしたけど、めちゃくちゃ洗練されたいい曲で。今アルバムに入っても遜色ないくらいいい歌なんです。“いくつになったら、素直に伝わるだろう”という歌詞があるんですよね。ありがとうとか感謝しているという想いを、いくつになったら普通に言えるようになるだろう──今は言えないけどっていう。言葉でなく、音楽という手段を取るような、それまでの生活があり、そこでしっかりと想いを込めた音楽を作ることができ、それでオカンから“ありがとう”という言葉を貰って。そこで、気持ちというのは普通に話すよりも歌に乗せることで伝わることもあるかもなという。それはもしかしたら自分にもできるかもしれないなと思ったんです。そういうひとつの出来事で、自分が目指すべき夢、目標地点をパッと狭めることができたんですよね。

田中転換点になったんですね。最後は個人的な話なんですが、私は漫画を描いています。ビッケブランカさんはよく漫画をアニメ化した作品の主題歌なども歌っていますが、好きな漫画はありますか。

ビッケブランカアニメのエンディング・テーマを担当した“フルーツバスケット”とかは名作ですよね。ただ、僕はあまり漫画を読む子でもなかったんですよね。“SLAM DUNK”も“ドラゴンボール”もちゃんとは読んでいないし。でも“幽☆遊☆白書”とか“烈火の炎”はちゃんと読んだかな。“中華一番!”も。あとは妹の影響で家にあった少女漫画の“ライフ”とか“紅色HERO”、あとは“「彼」first love”とか“僕等がいた”、“天使なんかじゃない”なんかは読んでましたね。

田中漫画を読んでいて何か特別な思いを感じたことはありますか。

ビッケブランカ“フルーツバスケット”くらいのものになると、人が描いたもの、描いた文字を印刷したものを読み進めることで人の心を動かす、こんなに泣かせるっていうのは本当にすごいなと改めて思いますね。だから、小説とかもすごいなと思うんです。文字だけで、涙を流せるというね。

田中映像でも以前、映画“詩季織々”の主題歌(2018年8月リリースの2ndシングル『夏の夢/WALK』収録曲「WALK」)を担当されていました。私は母方が中国の出身なので、中国を舞台としたこの“詩季織々”を観てビッケブランカさんにのめり込むようになったんです。切実なメロディがすごくいいなと思って。「Slave of Love」(2016年リリースのミニ・アルバム表題曲)は以前に聴いたことがあったんですけど、同じ人が書いた曲なんだって感激したんです。

ビッケブランカそう、同じ人なんですよ(笑)。

田中「WALK」のような美しい、祈りのような曲調にしたのは、やはり映像をイメージしてのことだったんですか。

ビッケブランカそうです。映像を観て、素朴なんだけど心に残っていく感覚というか。作品に流れている空気感や、その空気感を生み出す切なさを感じて、あの映像のあとに流れる音楽は? と考えたとき、そんなに迷うことはなくこんな音楽を流したいと思ったんです。僕が監督だったら、こういう音楽を作るだろうなというものでしたね。

田中どんな作品の主題歌も、作品それぞれで違うものなので、よく作品を咀嚼して描いているんだなというのはいつも思います。

ビッケブランカ作品とのタイアップとなると、まずはその作品に対する敬意と、理解を深めることから始まるんです。自分の曲を作るとなるとエゴが出ると思われがちで、実際にそういう部分もあると思うんですが。何かの作品と一緒にやらせてもらうなら、その作品に振り切って、自分のメッセージなんて必要はないというのがあるんです。作品に対する想いを書くことだけで、自分の本来言いたいメッセージは“帯びる”くらいで十分なんですよね。そういうふうになるように、日々いち人間としての意見や意志をはっきりしておいて、しっかりと自分を持っているなら、何をやってすべてに自分のメッセージがこもるんです。そういうところまでちゃんといきたいなと思うんですよね、物事は。ところで、漫画を描いてるんですよね? 今日持ってきてるんですよね?

田中いえいえ、それこそとても恐れ多いです(笑)……持ってくればよかったですけど。

ビッケブランカ僕の作品のことばかり聞いて、僕があなたの作品を見れないなんてねぇ、不公平ですよ(笑)。

田中はい、いつかビッケブランカさんの目にも入るように頑張ります。

ビッケブランカ楽しみにしてます。

田中今日はどうもありがとうございました。

インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 結城さやか

 

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