スターアルバイト烈伝
高田純次
高田純次
PROFILE

1947年1月21日生まれ。東京都出身。71年に「自由劇場」(劇団四季専用劇場)の研究生となるが、1年後退団し、イッセー尾形氏らと劇団を結成。その後4年間のサラリーマン生活を経て、77年に劇団「東京乾電池」(柄本明、ベンガル、綾田俊樹)に参加。1989年に独立し、㈱テイクワン・オフィスを設立。テレビ「どうぶつ奇想天外」(TBS)や「ぴったんこカン・カン」(TBS)、映画「木更津キャッツアイ」(公開中)で活躍。鋭いギャグセンスと“無責任”なキャラクターが愛され、若者からオジサンまで幅広いファンを獲得している。

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高田純次 Junji Takadaあの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。 毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
美女に囲まれたラッキーなアルバイト体験

高田純次一番最初にやったアルバイトは高校生の時で、友達の親戚が立川で経営していたオモチャ屋さんですね。クリスマスから年末にかけて売り子をやったんですけど、なぜわざわざそこでアルバイトをしたかというと、その店に美人姉妹がいたからです(笑)。

浪人生の頃は、ホテルニュージャパンの近くにあった「シャンゼリゼ」という深夜レストランでウエーターをしていました。その店のお客さんだったのが「ザ・スパイダース」。
「うわー、マチャアキだ!」ってなりましたよ。すごくカッコよかった。他にも、ニュージャパンのお客とか“ラテンクォーター”っていう有名なキャバレー関係の怪しいお姉ちゃんがお客さんだったりして、ここのウエイター時代はとても楽しかったね。

その後、美大の受験に失敗して、デザインの専門学校に行ってからは、遊ぶ金欲しさに芝浦で「港湾労働者」をやりましたね。「港湾労働者」っていうのは朝、港に行って貨物船から袋ものを運んだり、銑鉄(せんてつ)やジャリを運んだりする仕事なんですけど、週に1日か2日はしてました。

それから、目黒にある「日の丸自動車教習所」の2階で、免許の写真を撮るアルバイトもしましたね。免許写真を撮るためにシャッターを押すだけの仕事。いつ人が来るか分からないから、ずっとそこにいないといけないんですよ。結構ヒマで、マンガなんかを持ち込んで夕方5時くらいまでいて、それから本社に戻って写真を現像するんです。日給がだいたい700円。安いよね。でもハイライトが80円、ラーメンが100円くらいの時代ですからね。
そこで初めて会った芸能人が鰐淵晴子さん。やや斜め向きにニコっと笑った顔を撮ったんですけど、その写真を気に入ってくれたらしくずっと持っててくれたみたいですよ。
僕も芸能人になって、鰐淵さんに会った時にその話をしたら、「あの時撮ってくれたのはあなたですか」って覚えててくれましたね(笑)。

恐怖!洗っていないパンツをたたむ仕事の理由

就職した会社を辞めて劇団入ってからは、いろんなバイトをやりましたよ。4、50種はしましたね。アスファルトにまくためのジャリの運搬とか、葬儀屋の運送とか、文明堂のカステラの配送とか。ウエイターは給料が安かったからあんまりやらなかったなあ。
ワリが良かったのは催事のバイト。駅ビルやスーパーでワゴンに商品を載せて販売するんですけど、僕はお茶の量り売りをやりました。売り場を一人で任されるんですけど、きれいな奥さんが買ってくれると少し多めに入れたりして(笑)。楽だしお金もいいし、結構いいバイトでした。これは劇団の仲間に紹介された仕事だったかな。

新宿で24時間営業のうどん屋さんの店員をやった時は、うどん屋の近くにアルバイト用の休憩所があって、深夜1時くらいに休憩が取れるんですよ。休憩所のコタツですっかり寝ちゃって、気がついたら3時すぎ、っていうこと事を三日間続けたら、さすがに「辞めてくれ」って言われました(笑)。僕はアルバイトでも一生懸命やるタイプなんで、クビになったのはそこだけでしたね。

印象的なアルバイトだったのが、サウナでパンツをたたむバイト。サウナに来たお客さんがくつろぐために、館内着として大きな短パンをはくじゃないですか。そこのサウナはその館内着の短パンを洗わないで、ただ乾かすだけで、次のお客さんに貸すんですよ。その短パンをたたむのが仕事だったんですけど、洗ってないから汚く感じてイヤでしたねえ。経営者いわく「体をきれいに洗った後にはくんだから、別に洗濯する必要はない」っていうんですよ(笑)。一日で逃げましたけど、もちろん給料はもらいに行きましたよ。日給7000円だったけど、それでも欲しかったからね。

生き埋め事件勃発!? 命がけのアルバイトとは?

高田純次とにかく時給や日給がよかったんで、肉体労働はかなりやりました。大山にあった飯場(工事などの労働者のために設けられた宿泊設備)に行って、そこから車でいろんな道路工事の現場に連れて行かれるんだけど、代官山の道路工事現場で生き埋めになったんですよ(笑)。2m50cmくらい掘っていた時、穴を掘った際にできた土の山が崩れてきたんです。まずはドーンって上から、それから左右からも土が押し寄せてきて、いきなり真っ暗ですよ。最初は何が起こったのか全然分からなくて。自力で必死に這い出しましたけど、奥の方ではまだ社員が埋まっていて、「助けてくれー」って言ってるんですよ。僕も這い上がって、すぐに助けに行きました。それですっかり怖くなっちゃって辞めましたね(笑)。

濃い人々との出会いがあった肉体労働のアルバイト

高田純次飯場(工事などの労働者のために設けられた宿泊設備)には流れ者というか、いろんな地方から人が集まってくるんです。中でも印象に残っているのが、仕事は完璧にできるけど、ちょっと変わったおじさん。ビシッとしてて職人風なんだけど、一見普通のおじさんに見えるんだよね。
ところが給料が出ると3日連続で池袋のキャバクラみたいな所に行って、10円だけ残して全部お金を使っちゃう。例えば給料が30万円だとしたら、ドンチャン騒ぎして全部使っちゃうんですよ。食事代がすでに引かれている給料なんで、飯場に行けばゴハンは食えるんですけど、だからってねえ(笑)。10円を残していた理由は、いざとなったらどこかに電話できるようにってことみたいですけど。
なんでそんな事をしているのかよく分かりませんでしたけど、いやあ、こういう人生もあるんだなあって思いましたよ。

それで、そのおじさんが辞めるという時に、飯場の棟梁が「辞めるな」って怒ったんですよ。仕事の出来る人だったから惜しかったんでしょうね。押し問答の末、最後には棟梁が日本刀を持ってきて脅かし始めて!ビックリしましたよ(笑)。
自分もいずれ、舞台が入ったら辞めないといけないのに、辞めたら脅されるのかって、すっかりビビりました(笑)。
それで、僕が辞める時は「また舞台が終わったら戻って来ますから」って、そんな気もないのにウソついたんですよ。そうしたら棟梁が「そうか」って奥に行ったんですよ。てっきり日本刀を持ってくると思ってビビってたら、「実はオレ、昔、仙台の方で流しをやってたんだ」って、日本刀じゃなくてギターを持ってきました(笑)。
その歌がまた、すごく上手だったんですよ。本人は涙を流しながら歌っているんで「こっちも泣いた方がいいかな」と思ったけど全然泣けなくて。涙が出てくれりゃいいなあ、って思いながら、ジーンときたフリだけしました(笑)。でも、ちょっと感動しましたね。人にはそれぞれいろんなドラマがあるんだなあって。そういう事があると、ブワーっといろんな想いが広がるんですよね。

当時やっていた劇団は“即興芝居”といって、台本というものがなく、だいたいの打ち合わせだけをして、本番はアドリブでやる芝居だったんですよ。それぞれが面白いキャラクターにならないといけないんですけど、そういう時は自分が今までの職場で出会った、面白かった人の動きとか、喋り方とか立ち振る舞いをずいぶん参考にしました。世の中10人いれば10人とも違うキャラや動きなんで、その中から面白いキャラを選んで取り入れてましたね。

日給仕事の意外な盲点とは?

飯場を辞めた後、劇団仲間の柄本明が「大道具の仕事がある」って声をかけてくれたんです。これまで大道具なんてやったことがなかったんですけど、「大丈夫だ」って言われて。確か、大学の卒業式の仕事だったかなあ。舞台に“所作台”っていうのがあるんですけど、それを午前中に3m移動させて、午後に元に戻すだけの仕事。しかも午後3時には仕事が終わって日給が7000円くらいなるんですよ。
「うわー、こんなに給料もらえて肉体労働よりも全然楽でいいや」って思いました。そのお金で“なぐり(釘を打つ大工道具)”と携帯用の“ノコ”を買って、イベントの立て込みをやったりするようになりました。大道具の仕事はいいバイトだったので、「笑ってる場合ですよ!」(1980年~1982年にフジテレビ系列で放送されたバラエティ番組)にレギュラー出演するようになる2日前までやってましたね。

イベントの立て込み以外では、渋谷の「飛鳥舞台」というところで、日本舞踊なんかの背景の立てつけをやってました。昼飯はでるし、ご祝儀は出るし、いい仕事なんですよ。
でも、まずは親分に気に入られないとダメなんです。ある時、一緒に働きだした友達と酒のツマミの買出しに行かされたんですよ。他にも何人か新人がいたんですけど、僕らの買出しのツマミが一番いろんな種類があったし、“もやし”と“かつおぶし”を買ってきて、それに醤油をかけて出したりして。渡されたお金の中で、どれだけみんなが喜ぶツマミを買ってこられるか、それはかなり考えましたよね。それが親分に気に入られたみたいですね。本来の仕事はたいして出来なかったんですけど(笑)。

日給ってお金がその日にもらえてありがたいんですけど、仕事帰りに途中で飲んじゃったりしちゃうんだよねえ。給料日まで我慢するのと違って、明日も働けばすぐに現金をもらえると思うと、金持ちの気分になってちょいちょい飲んじゃう。結局、お金は貯まらないんだよね。日給をそのまま貯めるというのは、人間の心理として難しいと思う。だから日給って良し悪しなんですよね(笑)。

何も考えられないくらいキツいアルバイトをするべし!

高田純次大道具は日給もいいし、慣れるとそれなりに楽なんで、できることなら「このままずっと続けてもいいかな」と思うこともありました。
30歳のとき就職していた宝石会社を辞めて、「芝居だけじゃ食えないから、いつかは定職に戻らないと」って将来のことを思いながらも、芝居が面白くなりだしちゃって。アルバイトの他に年3回の公演、あとは稽古稽古の日々で忙しくてモノを考える時間があんまりなかったんですね。
アルバイトすると疲れちゃうでしょ。「この先どうなるのかな」なんて考えるうちに寝ちゃうから、30歳から34歳の間はとにかく眠かった(笑)。当時、1歳の子供もいて、「何か悩むよりも、少しでも給料のいいアルバイトをしてミルク代を稼げ」ってカミさんに言われてたし。とにかく毎日がハードで「眠い」としか思ってなかったですね。

「これがやりたい!」という目標のある人は、アルバイトで楽しい思いをすると目標を見失っちゃうから、何も考えられないくらいキツいアルバイトをした方がいいと思います。
アルバイトがキツいと、何も考えないので本来の目標が揺らがない。楽しいアルバイトをしちゃダメですね。必ずそっちに気持ちがブレちゃいますからね。僕は日給のいい仕事しかするつもりがなかったから、肉体労働ばっかりになりました。だからアルバイトに溺れなかったんですよね。人間はどうしても楽な仕事に慣れちゃうし、溺れるからね。将来、本当にやりたい事があるんだったら、アルバイトではキツい仕事を選んだ方がいいと思いますよ。

バイトル情報局