スターアルバイト烈伝
倉田真由美
倉田真由美
PROFILE

1971年、福岡生まれ、福岡育ち。マンガ家。一橋大学を卒業後、就職が決まらず、ヤングマガジンギャグ大賞に応募したところ、いきなり大賞受賞。このまま順調なマンガ家人生が訪れるかと思いきや、まったく仕事がなく、塾講師や麻雀バイトなどで食いつなぐ。 「週刊SPA!」(扶桑社)で連載していた、ダメ男を好きになる女たちを描く「だめんず・うぉ~か~」で大ブレイク。バラエティなどテレビ番組にも出演し、独特のコメントで女性から支持を集めている。

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倉田真由美 Mayumi Kurataあの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。 毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
フルネームと電話番号を掲示板で公開! 無防備すぎる最初のアルバイト

倉田真由美アルバイトを始めたのは18歳の時。大学に行くため東京に出てきてからのことなんで、そんなにたくさんの種類をやった方じゃないと思います。経験したアルバイトは…家庭教師、塾の講師、居酒屋のウェイトレスを2~3軒、麻雀荘の店員とパチンコ店のホールスタッフ、あとは食品の新製品モニターとか。なんだか変な偏りがありますね、ギャンブル系に(笑)。
学生時代はもちろん、大学卒業後もマンガだけでは食べていけない時期があったので、その期間はずっとアルバイトをしてましたね。アルバイトを選ぶときの基準は、基本的にはちょっと面白そうな、どんな事をするのかよく分からないけど、なんか刺激のありそうなものを好んで選んでいました(笑)。

 最初のアルバイトは家庭教師でした。時給も良くて、友人もやっていたので「アルバイト初体験としてはいいかなあ」って思いました。今思うとものすごく無用心だったんですけど、スーパーの掲示板に「家庭教師やります」って手作りの広告ポップを張って募集したんです。もちろんフルネームで電話番号も書いて。「一人暮らしの女の家ですよ」って張り紙してるようなもんですから、案の定いたずら電話がかかってきましたね(笑)。場所がスーパーだったので、そんなに多くではなかったんですけど、今思うとホントに危機管理がなってないなっていう(笑)。当時の私は求人情報誌なんて、存在も知らなかったんですよ。

広告が功を奏したのか、家庭教師の依頼をしてくれた高校生の女の子に1年間教えました。私は勉強を一対一で教える事が向いてなかったようで、女の子の成績もあまり上がらず、1年でクビになりました。「どんな人が好きなの?」とか無駄話ばっかりしていたんで当然ですけども(笑)。

「だめんず・うぉ~か~」誕生秘話! 強烈な居酒屋バイト

次にやったアルバイトは居酒屋のウェイトレスです。居酒屋のアルバイトは今思い返してみてもすごく楽しかったですね。国分寺の居酒屋なんですけど、時給が850円くらいで私服にエプロンをすればOKというお店でした。厨房みたいな狭いところで、自分と同じような学生達と仕事をするのはけっこう楽しかったんです。特に人間関係が楽しかったですね。そんなに親しい人がいたわけではないんですけど、たまに皆で飲みに行ったりしました。自分の大学(*一橋大学)以外の同年代の人と遊ぶのが初めてだったんですよ。その居酒屋では半年くらいアルバイトしました。ちょうどアメリカに2ヵ月の短期留学に行ったので、辞め時だったことと、帰国してからまたアルバイトを探す時に、心機一転、新しいお店で働きたくなっちゃったんですね。

帰国してからは新宿の居酒屋でバイトしました。国分寺の居酒屋とは客層が違いましたね。食い逃げするお客さんとか、なんかおかしい感じのお客さんとか。包丁持って暴れたお客さんもいました(笑)。

居酒屋のアルバイトをやってみて分かったんですが、私は接客に向いてましたね。働いていてすごく楽しかったんですよね。その頃は私も女子大生だったんで、お店のお客さんにナンパされたりするんですよ。キャバクラじゃないので、ナンパされてもお客さんと話をする必要がないじゃないですか。一応、電話番号だけは受け取ると「今度電話してよ」なんて言われたりして。そういうのも私はイヤじゃなくて、けっこう面白かったです。

そうそう、「だめんず・うぉ~か~」を描くきっかけになった人と知りあったのは、居酒屋のアルバイトをしていた時なんです。お店で一緒に働いていた人だったんですけど、彼がいろいろネタを提供してくれて、当時は「なんでこんな人と付き合ったんだろう」って思うばかりでしたけど、何年後かにマンガのネタになったんですから、そういう意味では恩人ですよね(笑)。彼がいなかったら「だめんず・うぉ~か~」なんて描いていませんから(笑)。

職場を変えるきっかけは刺激不足!?

倉田真由美長期間、一つの場所でアルバイトを続けた事はないですね。ある程度そこでの仕事や人間関係に慣れてしまうと、刺激がなくなってしまうじゃないですか。あと、もめたりトラブルが起きる事もたまにありますよね。

本来なら貴重品はしっかり自分で管理しないといけないんですけど、一度、更衣室にうっかりバッグをそのまま置いて働いちゃった事があるんです。その時に財布からお金だけを盗まれてしまって。アルバイトの更衣室だったので、たぶんバイト仲間の誰かじゃないかと思ったんですけど、でもそれってあんまり言えないじゃないですか。
お金を取られた事に気付かず、帰りに1人でとんかつか何かを食べに行っちゃったんです。お金を払う時になって財布をみたら、なんと一銭も入ってないんですよ! たまたま作ったばっかりのクレジットカードがあったんで大丈夫だったんですけど、そういうトラブルがあるとその職場では働きにくいですよね。

 結局のところ、“刺激”って最初は面白いんですけど、慣れてくるといろんな事が繰り返しの作業になってしまって、初めのワクワクした面白さは激減しちゃうじゃないですか。
お金を稼ぐためだけだったら、1ケ所でもっと続けていけたんでしょうけど、お金よりも“自分が楽しむためのアルバイト”、という意識が強かったので、その仕事や環境に慣れてしまうと、どうしても新しい事をやってみたくなっちゃうんですよね。
私みたいなアルバイトの選び方って珍しいんでしょうね(笑)。だからこの後に、麻雀荘のアルバイトを始めるわけなんですね。

麻雀荘バイトで味わう刺激体験

倉田真由美刺激を求めて始めた麻雀荘のアルバイトなんですが、これが全然お金にならないんです。時給は900円くらいで、決して悪くはないんですけど、麻雀荘の仕事って、お茶を出したり後片付けをしたりするだけじゃないんですよ。麻雀って4人いないとできないから、メンバー足りない卓に参加するための要員でもあるんですよ。私は麻雀が好きだったので、それがすごく楽しいんですけど、そのゲーム代が自腹なんです。最初は「大好きな麻雀をしてお金をもらうなんて、こんなにいい事はないんじゃないか」と思ってたんですけど、どうかすると、アルバイト料の方が少ない時もあったりしましたね(笑)。

バイト先は求人誌で探した池袋の麻雀荘でした。今はさほど珍しくないんですが、15年くらい前は、女子大生が麻雀荘で働くなんて、かなり珍しい事だったんですよね。そんな店は他に全然なかったと思います。麻雀専門誌に“女子大生が働く麻雀荘”って記事が載ったくらいですから(笑)。それが私の雑誌デビューです。マンガよりも先でした。

麻雀荘だけあって、いわゆる“ダメ人間”はけっこう見ましたね~。店長がある日いきなり店の売り上げを持って消えてしまったりとか。「じゃあこれ(*売り上げ)銀行に預けてきます」と言って出て行ったきり姿をくらましちゃって連絡がとれない。社員寮も、もぬけの殻。そんなハチャメチャな職場でしたけど、大学にはない刺激がありました。今までと違って、社会人が多い環境だったので“社会人の感覚”が垣間見えましたし、刺激的でした。

私には、変なものを面白がるクセが昔からあるんですよ。「こっちを選んでおけば問題ないのに」というものを選択できないで、面白いほうを選んでしまう(笑)。そういうのってリスクも大きいけど、リターンも大きいような気がします(笑)。男の人から同じ口説かれるのでも、「こっちを選ぶと危ないぞ、苦い水だぞ」ってリスクの高い相手に口説かれるほうが面白いじゃないですか(笑)。

大賞を取り、マンガ家デビューするも…

いよいよ大学卒業が近づいてきて、就職活動をしたんですけど、まったく上手くいかなかったんです。それで慌てて漫画を描き始めました。大学生になってからはさっぱり遠ざかってしまったけど、高校生の頃にはよく漫画を描いていたんです。でも、「就職がうまくいかないから漫画家になる」っていうこの選択も普通じゃないですよね。私は自分の事を普通の常識人だと思ってますけど、やっぱり少しだけ、調子ハズレな所があるっていうか(笑)。

それで、漫画を書いて投稿したわけですけど、大学を卒業した直後くらいに『ヤングマガジン』(講談社)という雑誌で、一番いい「ギャグ大賞」を頂いて、デビューもすぐに決まりました。「これで私はマンガ家として安泰だろう」と思ったんですよ。
でも、マンガって連載になって単行本が発売されないと、全然お金が入らないんですよね。特にギャグマンガというものは、一回に掲載されるページが少ないから、たとえ連載を持っていても食べていけるかどうか分からない。月刊だったら、まず食べられないですね。でも、当時の私はそういう事にしばらく気が付かなくて、半年くらいたってようやく漫画だけじゃ食べられない事に気が付いて、それで塾講師のアルバイトを始めたんです。

週3回、現代文とか古文を中学生に教えていました。昼間はマンガを描いたり図書館に行ったりして過ごしてましたね。お金もなかったし、大学時代の友人と遊ぶといっても、自分のコンプレックスを刺激されちゃうだけなんで、会いたいと思いませんでしたね。
かといって、塾に働きに行っても中学生相手じゃツマんないんですよね(笑)。まったく刺激にならない。生まれて初めて「生活のために働く」って感じでした。

私は、人にえらそうに説教したり、しゃべったりするのがけっこう好きな方なんですけど、塾の先生は面白いと思った事が一度もありません。最初は好きそうに思えたんですけどね。やってみて分かったけど、自分に興味のないことを教えたり話したりするのがイヤなんですね。自分の興味ある事、例えば人生論であったり恋愛観であったり、そういう話をするのは好きだし、向いてると思うんですけど、「国語を教えてくれ」っていわれるとダメなんですよねえ。そんなツマンナイこと教えたくないっていう(笑)。だから塾講師は本当に私に向いてませんでした。大学卒業してから2、3年はやっているんですけどね。

その後、マンガだけで食べていけるようになったのは「だめんず・うぉ~か~」が始まったくらいでした。

様々な職種を体験して知る“自分”

倉田真由美今考えても、アルバイトの経験は本当に役に立ちました。マンガのネタになったっていうのはもちろんすごくあるんですけど、それよりも、アルバイトというものは、「自分に何が向いていて、何が向いてないかを知るためのいい“リトマス試験紙”」になると思うんです。私は実際に塾講師や家庭教師をやってみるまで、自分には先生が向いてると思っていましたから。でもやってみたら向いてなかった(笑)。

何かを始めようと思っている時に、それに似た仕事をすることで、それが自分に合うかどうかよく分かると思うんですよ。向いてない事も向いている事もやってみないと分からない。だから私はもっといろんなアルバイトをやっておけば良かったなと思っています。もっといろんな仕事を経験しておけば、自分自身のことが明確に分かると思うんですよね。「たぶん自分には向いてないんじゃないか」と思っている事でも、やってみたら、もしかしたら水が合うかもしれない。だから「やってみたいな」って、ちょっとでも思うんだったら、絶対やってみたほうがいいと思います。その仕事の事も分かりますけど、何かをすると自分の事がよく分かるんですよね。だからいろんな事をやってみるほうがいいと思う。ひとつの事を長くやる意味もあると思うんですけど、アルバイトの良さって「始めるのも辞めるのも自由」という“身軽さ”だと思うから、その“身軽さ”っていう利点をフルに利用するべきじゃないですかね。

この先、自分自身、まだこれまでやったことのない仕事をやるかもしれないと思ってるんですよ。その時に“指針になるような経験”言うなれば“種”が多いほうがいいですよね。それさえあれば、どれを発芽させるか選択肢が増えるじゃないですか。
こんな風にアルバイトの話してると、またアルバイトしたくなりますねえ(笑)。

バイトル情報局