実家のジャズ喫茶が初めてのアルバイト体験という清水ミチコさん。短大時代のバイト体験から、ラジオの構成作家、テレビデビューと、アルバイトがつないだ不思議な縁を語ってくれました!
岐阜県出身。1983年にラジオ番組の構成作家を始め、次第に番組にも出演。1987年フジテレビ系「冗談画報」にてデビュー。1987年フジテレビ系「笑っていいとも!」にて全国区デビューを果たす。現在もテレビ、ライブと精力的に活動中。今年4月初のネタDVD「私という他人」、エッセイ集「主婦と演芸」を発売した。
楽しい東京生活にサヨナラできない理由とは……。
短大を卒業し、両親は「帰ってこい」って言ってくれたんですけど、矢野さんのライブを見たり、ラジオ番組にネタを投稿したり、東京の生活があまりに楽しくて帰りたくなくなっちゃって。
その頃ちょうど、実家の喫茶店がお店を広げてお弁当屋さんを始めたんです。なので「少しだけ、お弁当のことを勉強してから帰るわー」って親をごまかしながら(笑)、デリカテッセンでアルバイトを始めました。
そのお店でもメニューに「スパゲティのソースにも合う!」「カナッペにしても美味しい!」といった食べ方の提案を書いたら、店長に誉められました。
ちょっと世話焼きくらいの人のほうが、アルバイトには向いているのもかしれませんね。
自分に合ったバイトが見つかる!
特徴から仕事を探すバイトをすれば自分の世界が広がっていく!
そのお店の主人の知り合いの方が放送作家を募集していたのがきっかけで、ラジオ番組の構成作家をするようになったんですけど、自分のやりたいことが見つかった!これだ! って思いました。
昼間はデリカテッセンで働いて、夜はラジオ番組の仕事という毎日は、とても充実していましたね。
そのご主人は、こないだのライブも観に来てくれたりして、今でもいい関係が続いています。
「芸能界でなにがあっても(仕事がなくなっても)大丈夫なように」と、実は今でもデリカテッセンさんには私の籍は残ったままなんです(笑)。
その後に、ライブだけでなくテレビにも出るようになり、結婚もして、実家のジャズ喫茶を継ぐことはなくなりましたけど、今でもカフェに行くと「ひさしぶりにトレー持って働きたいな、私のほうが早くできる」なんて思ったりすることもあります(笑)
今の若い人はデリケートで傷つきやすい人が多いと聞きますけど、もっとバカになっていろいろチャレンジしてもいいんじゃないかと思いますね。
ある意味、アルバイトは責任も半分、それほど大きい期待をかけられているわけじゃない。
でも、一度アルバイトをすれば「次はあの仕事をしてみようかな」って、世界が少しずつ広がっていくものだと思います。