2014.08.13

スターアルバイト烈伝★トータルテンボス(後編)|バイトル

トータルテンボス★スターアルバイト烈伝(後編)|バイトル

小学生の同級生コンビ・トータルテンボス。学生時代から下積み時代まで、何度となく同じアルバイト先で働いたという、二人のアルバイトエピソードとは……?

トータルテンボス

Profile

(写真左から)大村朋宏/1975年生まれ。藤田憲右/1975年生まれ。
小学校の同級生だった二人で、1997年にコンビを結成。東京NSC3期生。『よしもと下剋上』(TBSラジオ)、『くさデカ』(テレビ静岡)、『爆裂バラエティー シャバダバの空に』(関西テレビ)などにレギュラー出演中。

 
後編

初の単独ライブが大盛況!
その意外な理由とは……?

藤田:居酒屋の後は、しばらく別々のバイトをしました。僕は接客が苦手だったので、コンビニの深夜の配送とか、レンタカー屋とか。配送のバイトの時、「運転していると、時間が経つの早いな。これはいいな」と思ったんですよ。レンタカー屋もお客さんとのやり取りは多少ありましたけど、クルマの回送業務がほとんどだったので、自分には合ってましたよね。
大村:僕が一番長く続けたのは、キャバクラのホールです。最初は客引きから始めるんですけど、ほかの人とは比べ物にならないぐらい、どんどんお客さんを引っ張ってきましたね。「かわいいコ、いっぱいいますよ」とか、調子のいいこと言って。あとで「全然違うじゃないか!」なんてクレームもありましたけど(笑)。で、店長に認められて、すぐにホールに昇格しました。お客さんにも「お前が延長してほしいなら、するよ」と言われたり、けっこう気に入られましたし、自分でも「この仕事、向いてるな」と思ってましたね。
藤田:初めて単独ライブをやった頃だよな。僕ら、初の単独なのに、すごい集客があったんですよ。
大村:それは、僕がキャバ嬢たちに声をかけていたからで。ほとんど全員が観に来てくれたんですよね。店長から「誰も出勤してくれねえよ」と、文句を言われるぐらい。
藤田:ライブ会場には、キャバ嬢がいっぱいいましたね。
大村:よく「トータルのライブって、なんでハデなコが多いの?」と聞かれましたけど、そういう理由で。でも、集客がいいと「人気がある」って噂が立つから、得しましたよね。
藤田:これでずっと売れなかったら、単純にハズイけどな(笑)。

トータルテンボス

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芸人としての運命を変えた
深夜のレンタカーバイト

大村:キャバクラの店長から「マジで、この世界でやらないか?」と誘われたこともありました。給料もいいから、ほんの一瞬、心が揺らぎましたけど「違う違う、俺はお笑いだ!」と。でも、その時、僕はキャバクラ、藤田はレンタカーと、時間が全然合わなくて、ネタを作るのにもそれぞれバイトを休まなきゃいけないから、すごく能率が悪かったんですよ。で、ちょうど藤田から「レンタカー屋のバイト、空きあるぞ」と聞いて。
藤田:大村が、レンタカー屋でバイトを始めたんです。二人制だったから、夜8時から朝8時まで二人きり。お客さんがいない時は、ネタを考えたり、ネタ合わせをしたり。僕らにとって最高の環境でしたよね。
大村:一人2時間、交互に休憩を取らないといけないんですけど、二人の休憩をつぶせば、4時間は自由になりましたし。このバイトが全部、今の僕らにつながってますね。ネタ作りもできて、バイトをネタにできて、漫才のつかみにもできて。当時「顔と名前とバイト先だけでも、覚えて帰ってくださいね」と、よく言ってましたから(笑)。
藤田:結局、僕は5年、大村は3年、レンタカー屋でバイトしました。ちょうど僕らが少しいい感じになっている時期でしたし、あの店で働いてなかったら今はないですよね、きっと。レンタカー屋の深夜バイトは、若手芸人におすすめですよ。
大村:まあ、これはレンタカー屋に限ったことじゃないですけど、バイトを通していろいろな経験ができたのは大きいです。どうすればお客さんに喜んでもらえるか、どうすれば店長に気に入ってもらえるか、人の心をつかむコツはバイトに点在してますから。
藤田:それに、バイトをするようになって、世の中のお金の流れとか、会社のシステムが初めてわかりましたよね。お金を稼ぐ大変さを知ったのも、バイトですし。
大村:でも、どうせ働くんだったら楽しいほうがいいから、僕は藤田と同じところでバイトをしていたので。どんなにつまらない仕事でも、そこで何かしらのおもしろみを探すと、バイトがもっと楽しくなると思います。

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