THE BACK HORNインタビュー - 激的アルバイトーーク!│求人情報ならアルバイト・パートのバイトル

BOMS バイトルマガジン

powered by バイトル

THE BACK HORN インタビュー - 激的アルバイトーーク!

日本最大級のアルバイト求人情報サイト“バイトル”とSkream!による“激的アルバイトーーク!”。今回のゲストは、今年結成20周年を迎え、3月7日にはインディーズ期以来となるミニ・アルバム『情景泥棒』をリリースするTHE BACK HORN。生命の鼓動を捉えていくサウンドと感情を芯から揺り動かすパワーを持った歌とで、ロック・シーンの最前線を歩んできた彼らにどんなバイト時代があったのかをじっくりと訊いた。また今回は、普段はできないような非日常的な体験ができる企画“ドリームバイト”で選ばれた大学生、八木澤仁美さんも4人にインタビューを敢行。様々な話を引き出してくれた。

THE BACK HORN

Profile

メンバー:山田 将司(Vo) 菅波 栄純(Gt) 岡峰 光舟(Ba) 松田 晋二(Dr)

-みなさんの記憶に残るアルバイトはなんですか。

岡峰居酒屋のバイトかな。真面目な話をすると、新宿LOFTでバイトをしていたから、THE BACK HORNのみんなに会ったというのはあるんですけどね。

松田これですよ。これだけでいいくらいだよね。バンド結成20周年で、このバイトから繋がるっていうところで。

岡峰上京する前のバイトだと、高校3年生のとき、早めに進路が決まっていたので、12月くらいから2月いっぱいくらいまで居酒屋でバイトをしたんです。最初は、ホールをやっていたんですけど、どうしても“いらっしゃいませ”が言えなくて。

山田わかる。

松田人と向き合う難しさね。

岡峰高3くらいだと、まだ恥ずかしさがあって。“いらっしゃいませ”とか“ありがとうございます”とかが言えなくて、しばらくして厨房に回されました。そこで、ひたすら大根の皮を剥いて、大根をおろし続けましたね。何本大根をおろしたのかっていうくらいで。大根おろしのやり方も、円を描くようにやると辛味が少なくなるんですよ。そういう知識も得て、あとは皿洗って、割って、弁償をしたり。

松田そこは“バイトだからしょうがねぇな”とはなんないんだな。ちゃんと厳しさがある。

ひとつ自分の扉を開いていくことで何か見えるものはあるんじゃないかな(松田)

THE BACK HORN

岡峰そこでいろいろ学びましたね。でも店員さんはいいお兄さんだったから、休みの日に“ちょっと飯でも行こうか”って誘ってくれたりして。地元が広島県の福山というところで、未だに帰省するたびにそのお店に行くんですけど、たった4ヶ月弱働いただけなのに、かわいがってくれますね。

菅波いい関係だわ。

岡峰もう(辞めてから)20年ですね。

-みなさんはどうですか。

松田僕は地元にいるときはあまりバイトするところがなくて。上京してから、カラオケ屋さんのバイトをしたんです。お店の外で“カラオケいかがですか”ってお客さんを案内していたんですけど。当時は上京したてで。東京や関東出身の店員が多いなかで、自分が訛っているのが恥ずかしくて、あまり声を掛けることができなくて、僕のときだけ売上が下がっていたんですよね。

菅波そういうのがあるんだね。

松田今思えば、そんなこと関係なくもっとオープンにしてやれば良かったんですけど。そしたら上の人から、“おい、松田。お前は福島出身なんだから、訛りを前面に出していけ。お前のその訛りを、こんなところで諦めるな!”って熱い言葉が無線で入ってきて。その瞬間に俺も、何をこんなに気取っているんだと。田舎は田舎なんだから、田舎の自分を出していけよと思って、訛りを前面に出していったら、“こいつ、ウケる~”とか“面白そうだから行ってみよう”っていう反応があったんですよね(笑)。むしろ自分が隠していたものを表現したことによって、それがひとつのキャッチーなものになって。そこから売上もどんどん伸びるようになったんです。自分が隠していたものと、それが人から見てどう思われるかってことには、意外とギャップがあるというのは、勉強になりましたね。

岡峰それ以降はね、訛りを有効的に使って今があるからね。

松田それからはね、営業訛りやってます。うそうそ(笑)。では山田さんに。

-はい、山田さんお願いします(笑)。

山田高校3年生のときに働いたコーヒー・ショップが、初めてのちゃんとしたバイトでしたね。地方の広告でバイト募集が出ていて、“おしゃれで小粋なコーヒー・ショップ”って書いてあって。きっと、ジャズとかが流れているような落ち着いたところなのかなと思って面接に行ったら、某ファーストフード店よりも接客が厳しかったんです。さっき光舟が言っていたのと近いんですけど、俺の場合は、“ありがとうございました”っていうその声が怖いって、店長に怒られて。

THE BACK HORN

菅波怖い?

山田言われて、一生懸命直していたつもりだったんですけど。

岡峰どんどん目がマジになってたんだろうね(笑)。

松田本当に本気の“ありがとうございました”っていうか(笑)。

菅波コーヒー一杯頼んだのに対する、お礼のバランスがおかしい。

山田1ヶ月くらい“怖い”って言われ続けていて。俺もこれは向いてないなと思って2ヶ月経たないくらいで辞めちゃったんですよね。

松田俺が聞きたかった将司のバイトの話は、それじゃなくて──

山田あぁ、カラオケ屋の方ね。カラオケで、受付のバイトをやっていたんです。酔っ払っているお客さんも多くて、そのとき“お兄ちゃん領収書くれよ”って酔っ払ったお客さんに言われたんですけど、その当時、領収書というのがなんだかわからなくて。とりあえず引き出しを開けて見たら“領収書”って書いてあるものがあったので、それに金額を書き込んで。普通はそこで“宛名はどうしますか”って聞くじゃないですか。でも知らないから、宛名のところに“山田将司様”って書いて、ありがとうございましたって渡したんです。

松田お客さん、それ貰って行ったんだよね(笑)。

山田貰って行っちゃった。3日後くらいにそのお客さんがまた来たみたいですけどね。

松田これじゃ経費おりねぇぞと(笑)。

-きっと、そのお客さんも今では笑い話にしてくれていると思いますよ。

岡峰酔いが覚めてみたらね(笑)。

菅波誰だよ!? っていう宛名の領収書があって。

-菅波さんはどうですか。

菅波俺も飲食店は多いですね、トンカツ屋とか飲み屋もあったし。地元の回転寿司屋さんで働いたとき、これは見事にみんな一緒だなと思うのは、俺も最初にホールに出されたんですけど、挨拶ができなくて。その寿司屋さんは、注文を受けたときに、“はい、元気です! どうぞ”って言わなきゃいけないんです。でも、思春期のTHE BACK HORNのファンの人たちはわかると思うんですけど、自分は元気じゃないのに元気とは言えないとか、自分には嘘はつけないみたいな感じでやってたら、裏に回されて。

山田おんなじ(笑)。

菅波それで、“シャリ切り”っていう酢飯を作る仕事に回されたんです。ただそれもあまりできなくて。話を聞いてると、みんなは接客はできないけど、技術的なことはできるタイプじゃないですか。でも俺はその技術的なところもおぼつかないというか、手順とかが覚えられなくて。

岡峰まぁ、技術と言っていいのかわからないけどね。

菅波店長さんの下に、女性の次長さんがいたんですけど。“栄純君がまたガシャンガシャンやってるから”って、店長さんが次長さんにちょっと見に行ってこいと言って、次長さんが何度も来てくれていたんです。

岡峰あいつは、シャリ切りもできないのかと(笑)。

菅波で、そのシャリ切り場が――

山田&岡峰&松田“シャリ切り場”(笑)!

THE BACK HORN

菅波そう。シャリ切り場が厨房の奥にあったから、だんだんと、“もしかしてあいつら付き合ってるんじゃないか”って噂が流れて。もちろん付き合ってないんですよ。“栄純君、私と付き合ってるって話が流れてるけど”って、シャリ切りながら次長さんに言われて(笑)。俺ウブだったので、なんて言えばいいのかわからなくて、気まずくなって辞めちゃいましたね。

-いろんなバイト経験で、社会人として身になってることはありますか。

岡峰THE BACK HORNでは、“マニアックヘブン”というイベントをやってるんですけど、そのイベントでオリジナル・ドリンクを出しているんですよ。新宿LOFTでバイトしていたときに、ご飯とかお酒を作っていたので、頭の中でどういうメニューが良さそうかなんとなく考えて作れちゃうのはありますね。凝りすぎてお客さんのニーズと合ってなかったっていうのはあるんですけど。

山田かなり通好みなものになってたね。

岡峰“正露丸みたいな味”って言われたり。じゃあ、甘ければいいんでしょっていうことで、最近は甘い味のカクテルを作ってます。料理も、凝ったものはできないですけど、居酒屋的なメニューは作れるようになりましたね。

松田学んだことは、さっきの自分を出すっていうところですかね。自分がコンプレックスだと思って抱え込みすぎたものが、いつしか大逆転して、みんなに愛着として思ってもらえるものになるっていう。でも難しいですよね。人によってはそれをいじられてるとか、いじめられてるって思っちゃうこともあるだろうし。でも、それで繋がりが持てたり、お前ってこういう奴なんだなってカテゴライズしてもらえたりするだけでも、世の中の一部になれたなっていう思いもあるんですよね。自分を出したことで、あのカラオケ店での仲間になれたのがあったから。正解かどうかわからないけど、ひとつ自分の扉を開いていくことで何か見えるものはあるんじゃないかなっていうのはあります。

-活動が忙しくなってくると、バイトのシフトを組むことも大変になりますが。そういう面では、どうしていたんですか。

山田ここふたり(山田、菅波)は日雇いのバイトもしていたので。バンドの活動がない日や時間帯にバイトを入れたりはできましたね。引っ越しとか、壁紙を剥がすとか、あとはマンションのトイレを一個一個回って、詰まりを直すとか、パン工場でバイトをしたりとか。

-なかなか定期で入るのは、難しくなるんですね。

岡峰それはバンドのせいじゃなくて……というのもあると思うけど。

山田それを言うな(笑)。バイトが続かないけど、でも生活はしなきゃいけないので、路上で弾き語りをやったりもしてましたね。全然バイトの話じゃないですけど(笑)。

菅波俺はTHE BACK HORNを始めてから、コンビニでバイトをしたんですよ。バンドでリハをするスタジオのすぐ近くで、面接に行ったら通って、やっていたんですけど。あれはちょうどメジャー・デビューのときだったのかな。

松田いい店長さんだったよね。

菅波店長の奥さんが、福島の人で。俺、出身が福島だから、“なんか菅波の福島弁は、愛着が湧くな”って言って、結構いろいろと優遇してくれたというか。“バンドやってるんだって? 頑張って”という感じで、シフトも工夫して入れてくれたんです。メジャー・デビューが決まって、そろそろバイトを辞めさせてくださいと言おうというタイミングで、ここからは音楽で飯を食っていくという気合を入れる意味でもモヒカンにしたんですよ。モヒカンにしてバイトに行ったら店長さんが、“ちょっと菅波、裏に来い”と。“うちの髪型の規定はわかってると思うけど、モヒカンにしたってことは、お前はバイトを辞めるっていうことなんだよな。お前はもうバンドで飯食おうということなんだよな。だったら、応援するわ。内緒だけど、たまにきたら、なんか食わせてやるから”って言われたんすよね(笑)。そういう出会いもバイトならではというか、“よし、これからバンドを頑張ろう”っていうのはそのときありましたね。

“よし、これからバンドを頑張ろう”という出会いがあったのも、バイトならでは(菅波)

THE BACK HORN

-いい話です。みなさん、すごく人にも恵まれてきた感じですね。では、ここでドリームバイトの八木澤さんにバトンタッチします。八木澤さん、お願いします。

 

八木澤大学で、建築学科に通っていて、今年4年生になる八木澤です。今日はよろしくお願いします。まず最初に、先日ミニ・アルバム『情景泥棒』のジャケットが公開されて拝見したんですが、私の周りのファンの間でも話題になっていて。いい意味で狂気を感じるというか、インパクトのある絵だなと思いました。このジャケットを描かれるうえで、考えながら描いたのか、思いつくままにスラスラと描いたのか、どんなふうに進めたのかうかがいたいです。

松田今回の絵を僕が描くとなったときは、レコーディングの途中段階だったんです。だからまだ曲順も決まっていなかったり、アルバムの全貌もデモの段階ではこうなるなというのは想像していたんですけど、でも将司の歌が入ってなかったりしたので、すべてが見えてない状態で。でもタイトルは決まっていたのかな?

岡峰タイトルまでは決まっていたと思う。

松田タイトルからそれをどう広げていくかが、思ったよりも大変だなと思ったんですよね。インディーズのころから、メンバーでジャケットを描くというのはやっていて。そのころはある種無邪気に、発想のままに描いたり、下書きもなくこのままいっちゃえという感じだったりで、それでよく形になっていたなと思うんですけど。結成して20年経って、今回ジャケットを描くとなったとき、ジャケットの役割ってなんだとか、みんなが求めているインパクトはどういうものかというのを、思いのほか考え始めている自分がいて。20年前はそんなこと考えずに、“キター!”とかやってたなって思うんだけど、そうなるにはどうしたらいいのかとか、思いがぐるぐるしちゃったんです(笑)。でもそこは考えるよりも、やってみようということで、A4の紙にいろいろキャラを描いていくうちに、あの絵に辿り着きました。キャンバスに鉛筆で下書きをしたところで完成が50パーセントくらいで。これをアルバムのジャケットとしてインパクトを出すには、色味とか、配色に重要な役割があるなと思って。慎重に、1色でも間違えたら大変だくらいの気持ちでやったら、いい色合いが最終的にできたんです。途中段階をみんなに見せたときに、いい感じになってるという反応を貰って、ようやく任務遂行できたなと。歌詞とかドラム以上のプレッシャーを感じたところは正直ありました。でも20周年というタイミングでこういう手描きのジャケットが出せたのは、良かったなと思いますね。

八木澤そうだったんですね。また20周年という節目を迎えるに当たって、それぞれがもし自分にご褒美のようなものを与えるとしたら、何にしますか。

山田長期休暇……。

松田いいんですか? 20周年なのに。

菅波でも、旅はいいなぁ。海外旅行、しかも今度はフランスとか。

松田行ってないんだっけ?

菅波行ってないんだよね、まだ。最近はベタにフランスに行ってみたくなってきて。前にマツ(松田)がルーヴル美術館に行ったって言ってたじゃない。1日では回れないくらいだって。言ってみれば、伝説のミュージシャンが全員揃ってるイベントの絵画バージョンなわけでしょ。俺の場合、そういう好奇心を満たす方で自分を労いたいというのがあるかもしれない。

山田あとはみんなで焼肉に行くとかね。10周年のときは、エンジニアさんに叙々苑の焼肉をおごるという約束を果たしたことがあったので。

松田じゃあ、20周年焼肉を。

岡峰10年前とは、頼むものも変わってくるだろうしね。

松田意外と食えなくなってるのかな(笑)。

八木澤ありがとうございます(笑)。では次の質問です。私はこれから就職活動をするにあたって、自己分析をする機会が増えているんです。そこでは自分の欠点と向き合う機会も多くて。みなさんは20年前の自分の欠点と、今思う自分の欠点に違いはあると感じますか? またそれらの欠点との向き合い方に変化はありますか?

岡峰うーん、難しいよね。意外と時間が経つと大したことないことも、自分のキャパがいっぱいいっぱいでそのときは考えられなかったり。その繰り返しなんですよ。今はそういうことはないのかっていうと、数年後の自分はきっと、“そんなことでまだ悩んでるの?”ってことの繰り返しで。毎回自己嫌悪ですけどね、“あー!”って風呂で髪洗いながら叫ぶみたいな(笑)。

菅波わかる(笑)。

岡峰昨日の自分のことを思い出して、“いらんこと言うなよ”っていう。お酒の席でのことですけどね(笑)。“何偉そうに語ってるんだよ。お前ができてないじゃないか”っていう。そういうのはしょっちゅうです。

THE BACK HORN

松田自分のイヤな部分に向き合って、それを解消するのは、自分の悩みじゃないですか。きっとそれを面接の場所に持っていっても意味はないと思うので、自分と向き合ったときにいいと思った自分、これが自分の得意技かなと思うところに気づけた方が、絶対面接官には飛び抜けて見えると思うんですよ。面接官もいろんな人をいっぱい見てますからね、これは彼女の素から出ている彼女の良さかなっていうのはわかると思うし、それを素直に出したらいいのかな。自分の中でイヤなものばかり見えてきてしまうと、どうしてもそれを良くしようとなるとは思うんですけど。そのなかでも見えてくる、これは結構私のいい部分かな、私の力かもなっていうところを見るのがいいのかもしれない。いい部分を見るっていうか。

山田コンサルティングみたい。いいこと言ってる。

八木澤とてもためになります。では、もうひとつ質問です。個人的に感じていることなんですが、ここ数年リリースされた曲は、コーラスが昔よりも多く入っている曲が多いなと思っていて。『孤独を繋いで』(2017年リリースの26thシングル)でのインタビューで、ライヴを意識してみんなで作っていったという話を読んだのですが、昔の曲を作る感覚と今とで、一番違うなと感じるのはどんなところですか。

菅波自分の中では歌詞というのが大事で。コーラスが曲にふんだんに入ってくるようになったのはたしかに最近なんですけど、歌詞が大事ということは、変わってないんです。ただ歌詞の書き方が、俺は結構変わっていて。昔は、メロディができてから歌詞を考えていたんですけど、最近は、歌詞を考えてからメロディをつけることが多くなって。どちらのやり方でも歌詞を大事に作ることはできるんですけど。最近の方が、なんて言うか、よりいっそう歌詞が物語的に進んでいくことが多いというか。言葉が先にストーリーとして進んでいかないと、曲が進んでいかないようになって。そういう手法の変化はあるかもしれないですね。どちらがいい悪いというのはないんですけど。

松田あと昔は、ライヴを想像しながら作っていなかった感じはありますね。最近は当たり前のように、曲を作ったらライヴがあって。ライヴをやってみて、ここでみんなで体感的にひとつになれそうだなというのが、楽曲に返還されてきたり。ここにコーラスがあれば歌ってくれるんじゃないかとか。それが昔は、曲の中だけの世界観でやっていた感じがあったなと思いますね。それがどんどん、ライヴをするのと並行してアルバムを作るごとに、両方を行き来するようになったのはあると思います。

菅波これはおまけみたいなものですけど、昔と変わったと思うところでは、曲を作る時期ってあるじゃないですか。昔は絶え間なく、何してるときも曲のことを考えながら生活をしていたんですけど。今は集中する時間を決めてというか、“今だ”って思う瞬間に書くようにしていて。それ以外のところをなるべく曲のことを考えずに過ごしていますね。最近テレビで見たことなんですけど、何も考えてない状態と、何かが閃いたときの脳の状態はかなり似ているそうなんです。ということは、自分が考えに取り憑かれているところから1回離れることで、脳はたぶん、やっと俺の出番がきたんだなって動き始めるというか。それで作業をしてくれて、いろんなことを結びつけてくれるみたいなので、歌詞とかも思いつかなかったら、寝るようにしてるんです。そしたら、次の朝とか昼間くらいに、“きたーっ!”ていう感じになるので(笑)。それは結構、コツのような気がしますね。

八木澤昔は、4人で山にこもって曲作りの合宿をしたということもあったと思うんですが、そういうのではなく日常のなかで作るという感じですね。

菅波山にこもっていたころも、みんなで人生ゲームやったりとかしてて(笑)。そこで無意識に考えていたのかもしれないけど。

岡峰合宿で覚えてるのは、マツの話が長くてなかなか寝られないっていうことで。部屋はたくさんあったんですけど、なぜか4人で同じ部屋に寝ていたんですよ。

松田あれは、光舟と将司が迷惑がるのをわかっていて、栄純が“マツ、喋らなくていいの?”みたいな感じで煽るから。“宇宙のホワイトホールは本当にブラックホールに繋がってるの?”とか。

菅波マツ、好きなんですよ、宇宙の話が。で、寝る位置がだんだん決まってくるんですけど、光舟の上にだいたい照明のスイッチがあるんですよ。光舟が、消灯っていう感じでぱちっと消すんですけど、それは意味があるわけじゃないですか。“もう寝たいよ”っていう。でも消えてから、マツがボソボソ話し始めるんですよ。

松田しばらく誰も返事しないのに喋って。喋ったあとに、“みんな寝た?”って言うと、みんなプッて吹き出すので。

菅波そこで吹き出した奴が、相槌打たなきゃいけないっていうね。

松田その黒幕は、栄純だからね。でも、そこでみんなでゼロから生み出した曲とか、雪を見ながらできた「世界樹の下で」(2002年リリースの2ndアルバム『心臓オーケストラ』収録曲)とかもあるから。一概に、どれが昔と違うかというのはないんですけどね。

岡峰みんなで生活することで出たトランス状態みたいなものもあるからね。

松田合宿で、何かしら生み出して持って帰りたいというのもあったので。そのなかでできた良さもありますしね。今は今で、出てきたものをみんなで共有してアレンジをしながらビルドアップしていこうという感じで。今回のミニ・アルバムは、まさにそうですしね。いろいろな方法があるんだなというのは、長くやってくるとわかることではありますね。

八木澤わかりました。いろんな楽しいお話をどうもありがとうございました。

インタビュアー:吉羽 さおり
Photo by 上溝恭香

  • ダウンロードはこちら
  • App Storeからダウンロード
  • Goole Playから無料で手に入れよう
  • ※バイトルアプリをインストール済みの場合はアプリがダイレクトに開きます
    (機種によってはアプリが開かない場合がございます)

skream

バイト求人探すならバイトル